現在45歳、東京在住の調理師です。

骨折した当時は20歳そこそこでウィンターシーズンになるとスキーゲレンデのアルバイトをしていた時のことです。毎年のように同じゲレンデにアルバイトに行っていました。期間は約3ヶ月でこの当時はスキー場もとても賑わっていてバイト代も今考えるととても高く、短期間でお金を貯めるにはとても最適なアルバイトでした。

この年で3シーズン目と言うこともあり仕事にも慣れていて働きやすい環境にありました。そんな中ある朝のことです。場内のレストランの雪かきをするためにスコップをもって現場へ向かいました。前夜にかなり雪が降ったようで50㎝は積もっていました。レストランの入り口付近の階段やデッキの雪かきをいつものように慣れた手つきではじめました。この日は朝からとても天気が良く力仕事と言うこともあり汗ばむくらいの陽気でせっせと仕事を進めて行きました。建物の周り約半分くらいの雪かきが終わり一休み。10分ほど休んで残りの雪かきを始めようとデッキ部分に戻りました。

その時でした。屋根に積もっていた雪が私の方へ大量に落ちてきました。デッキの外側には手すりがありその手すりに顔が挟まれる形で上から雪が落ちてきました。あまりに突然の出来事だったので何が起こったのか分からない状態で気がつくと私は雪に埋もれていました。私は完全に雪に埋まっていたようでたまたま近くにいた職員さんがかきだして助けてくれました。その寒さで痛みを感じませんでしたが室内に運ばれて体が温まり始めると首とあごの痛みが猛烈に襲ってきました。

口からは結構な血を流していたので周りの関係者も焦って救急車を手配してくれていました。どうやら下あごを真ん中から折ってしまったようです。雪と手すりに挟まれた衝撃で見事に真っ二つに割れました。下の前歯日本がVの字のように避けてそこからちが流れていました。応急処置も出来ず病院へ搬送されました。レントゲンの結果はやはり下顎が折れていて首はひどいむち打ちでした。

診断をしてくれた先生は

「きれいに割れたねぇ~」

と感心していて

「なかなか見たことが無い骨折だね」

と言っていました。私は顎の痛みで表情も変えられずそれどころか話すことも出来なかったので筆談をして心境を伝える状況でこの大変な事態にとても不安になりました。住まいが東京でそのゲレンデは新潟県でしたので家族に状況を知らせるにも話せませんし手紙を書くしかありませんでした。

ケガの処置ですが首にはコルセットをして固定。顎は直接固定できないので歯を強制するように針金で固定され約5㎜ほどでしょうか。口を開けた状態で固定されました。ここからの生活が大変で食事をするにも顎を動かせないのでわずかな隙間を通る柔らかいものを食しながら約3カ月過ごすこととなりました。

1週間で退院し東京に戻りただ安静にする日々。口を通るものはアイスやプリンのみでカロリーはあるのですが3カ月も続くとなるとホントに厳しかったです。後半は暖かいスープや柔らかめの舌でつぶせるゼリーにも挑戦して寂しい食生活に少しでも変化を求めていました。骨折から約2カ月が過ぎたころには外出も出るくらいに回復していたので友達と食事に行き私はこれまで通りプリンを注文し友人には私の好物のしっかりした食事を頼んでもらいました。その食べるシーンを見ながら自分はプリンを食べ自分も食事をしているかのような気持ちで時を過ごしました。寂しいように聞こえるかもしれませんがこれで結構な満足度があるんです。5㎜ほどしか開かない口で会話も出来るようになっていました。腹話術師が話すような感じです。ですが自分の思いを伝えられるようになっただけでもストレスから解放されるのでこの時は本当に楽しい時間でした。

無事に3カ月が経ち固定していた針金も取れました。リハビリは特になく日常生活がリハビリだと言うことで普段通りの生活に戻す努力をしました。もちろん口はすぐには開きませんが毎日数ミリ単位で動かしながら意外と早く元の可動域へ戻す事が出来ました。この時体重は12キロ痩せて見た目が別人で友人にはとても心配されました。食事が取れるようになるとすぐに体重は戻り元の体型となりました。今回の骨折で歯に巻いた針金が良かったのか下の歯の歯並びが良くなりました。これは唯一良かったことと思えます。治療費はアルバイト先の労災ですべて賄っていただきました。その他にもお詫びの品と少し色付けしたアルバイト料もいただいてかえって迷惑をかけてしまいました。今では笑い話ですが本当に大変な日々を過ごした骨折の思い出です。