中学二年の夏、サッカーの試合の途中、相手チームの選手と激しくぶつかり、仰向けに転倒しました。

とっさに後ろ手に手をついたまではよかったのですが、角度がおかしかったらしく、痛みとともにヘンな感触が左手首に走りました。そのときは、試合のほうが大事でしたから、痛みをこらえたまま最後まで走ったり、蹴ったりしていたのですが、審判のゲーム終了を告げるホイッスルのあと、次第に手首の痛みが激しくなってきます。手首から手の甲までが、みるみるはれていくのがわかります。水道の水で冷やしてはみるものの、少しも痛みは取れません。それですぐに外科医へ行き、レントゲン撮影をすると、手首の骨折でした。

骨折の程度は軽くギプスをつける必要もなく、また利き腕でなかったのも幸いでした。当時まだ「骨接ぎ」という職業がありました。「骨接ぎ」は、骨折や脱臼をもとに戻すことを専門にしており、専門的には「柔道整復術」、むしろ「接骨医」という言葉のほうが知られているかもしれません。私は外科病院から骨接ぎにまわされました。

その骨接ぎは腕がよいとの評判でしたが、今までその門をくぐったことはありません。ちょっと不安になりながら、受付を済ませると、やがて順番がまわってきました。診療室は、いくつかの部屋にカーテンによって仕切られ、それぞれの部屋にはベッドが置いてあります。入ってきた先生が、若い女性で、「骨接ぎ」とか「柔道整復術」といういかめしいイメージとは程遠いきゃしゃな美人でした。

レントゲン写真をざっと見ると、私の手を手を取って、手首から手の甲をあちこち押したり握ったりします。14歳の私は、まだ女性の手を握ったことがありません。いえいえ、学校のフォークダンスなどで触れたことはありますが、それとこれとは訳が違う。年上の、それもきれいな女性と、カーテンで仕切られた、ベッドのある狭い部屋で、二人きりなんて色気づきはじめた中学生にはずいぶんと刺激的なシチュエーションです。いったいこれから、どうなるのだろうか(どうなるもこうなるも、治療が始まるに決まっているのですが)。あれこれ手を調べていた先生は、じゃんけんのグーを作らせると、そのこぶしを自分のみずおちにあてがいます。みずおちのすぐ近くは胸です。もっとハッキリ言うと乳房です。意外な展開と女性の柔らかな胸の感触にとまどう私にお構いなしに、先生は私の手をいったん思いっきり引っ張りました。手首がパキパキ、ボキボキと音を立て、痛みが走ります。

続いて、その手を再び胸の谷間にあてがって、ぐっと押し込みました。柔らかな胸の感触を味わう一方で、ゴリっという音がしてまたも痛みです。私の手首は天国と地獄を一瞬のうちに行き来したようなものです。おそらく、折れて妙に曲がった手首の骨を、一度脱臼させておいて、ただしくはめなおしたのでしょう。あとは、湿布を貼って、包帯で強く固定。また明日来るようにと言われました。行きます、明日行きます、必ず行きます、こんな治療なら毎日来ます。ところが翌日、甘美な期待を抱いて通院したところ、あのきれいな先生はいませんでした。いや、いたのです。いたのですが、カーテンで仕切られた部屋に入ってきたのは、ただのおじさんでした。おじさん先生は私の手をあちこち触りつつ、具合を診てくれているのですが、こちらとしては膨らみすぎた期待の持って行き場もなく、

「うむ、これならすぐ直るね」

という言葉にも、よろこべません。できれば、もう片方の手首も折ってやろうか。手では物足りないから、足でも骨折するか・・・などと物騒なことを考えたりもしたものです。
それからあとは、きれいな女先生にあたることもなく、半月もして骨折はきれに治ってしまいました。いま、五十代のおっさんサラリーマンになっても、骨折というと、あのときのことを、胸の谷間にのめりこんでいく自分の手首の感触とともに鮮明に思い出します。