私は現在43歳のパート主婦です。

もう恐ろしく昔の話なのですが、今も後遺症とでも言うべきなのでしょうか・・骨折したところが年を重ねるごとに神経痛というまだこの歳であまり大きな声では言いたくない症状がありいまだに骨折した時の事を思い出します。

ケガをしたのは私が17歳の若い若い女子だった頃です。自分の家より少し遠いところの友達の家に遊びに行った帰り道でした。一緒に遊びに行った友達と二人で駅までの坂道をずーっと下っていたのですが、もうすっかり日も暮れて街灯も少なく道幅も狭い道路で歩道ももちろん狭い道だったのですが、下から車が走ってきたのでその車が走り去るのを待ってまた歩き出そうとした時に暗くてよく見えず縁石からガクッと足が道路側に落ちて思いっきり転んでしまったんです。

「ボキッ」

とおかしな音がはっきりと聞こえたのですが、転んだだけで足の骨が折れるなんて全く思っていなかった私は多分捻挫したのだろうと、友達も私がただ転んだだけだったのでそれほど心配する事もなく、捻挫も経験した事がなかった私は捻挫ってこんなに痛いんだなぁと思い、足を引きずりながら自分が住んでいる町の駅に着きました。

友達は手前の駅で降りたので、私は一人電車から降りたものの、なんだかどんどん痛みが増していてもはや一人で歩いて家までは帰れないと思い、父親に電話をして迎えに来てもらいました。それから、祖母から湿布をもらって捻挫してるであろう部分(足首から側面あたりです)に貼り寝ました。

翌日、ベッドから起き上がって床に足をついた瞬間あまりの痛さに飛び上がりました。足を見ると紫色になって倍以上に腫れあがっていてとても歩けたものじゃありません。這って移動し学校に欠席の電話をいれ病院に行ってくるという話を母としていた時に、横を通った父が私の足を見て一言

「折れてんじゃないか??」

私は

「でも、転んだだけで折れるかな~?捻挫のひどいやつでしょ、多分」

と言って近所の整骨院へ自転車に乗って行きました。踵を使うとペダルがこげたので・・。そして、待合室でおじいさんおばあさん達と座って待っていると前を通ったおじいちゃん先生が高校生が座っているのですぐ目についたのか、私の足を見るなり父と同じように

「折れてるぞ、それ」

診察はレントゲンも撮らず触診で

「やっぱり、ここの骨が折れちゃってるなぁ」

と言われ診断名は「左足第五中足骨骨折」でした。全治3週間です。治療は、基本安静にして毎日赤外線をあてるというものでした。家から整骨院まで自転車で3分程だったのですが、包帯ぐるぐる巻きだとさすがに自転車には乗れないので往診してもらう事にしました。先生が赤外線をもって家まで来てくれていました。3週間学校を休み、父の仕事が休みの日はおいしいものを食べに連れて行ってもらったりして、意外に楽しく過ごした3週間でした。

ただ、固定しているので踵部分がものすごく痒くなってそれが痛みよりつらかった記憶があります。おかげさまで3週間で松葉づえも使わず歩けるようにはなりましたが、足全体を床につけるという事はまだできず、完治するまでは1か月半くらいかかったかもしれません。歩けるようになってからも週一で整骨院に通い赤外線治療をしていました。おもしろい発見が一つあったんです。私はただ道で転んでタイミングが悪くポッキリ骨が折れてしまったのですが、学校内や同じ電車で他の学校に通っている同級生たちが、私を見る目がものすごく心配そうに見るのでなぜなのかと思っていたら、話が膨らんで伝わっていたようで、”交通事故にあった、車にひかれた”という事になっていたそうです。

骨折した場所も小指の下の小さく細い骨が一本折れただけなのですが、車にひかれて骨折したって思っている人達にはギブスもしていないし松葉づえもついていないし・・骨が折れても普通に歩ける女と思われていたみたいです。噂話ってこうして尾ひれがつくんだなぁと実感した事を覚えています。寒い季節になると、ホントに嫌な痛さの神経痛がでるのですが、それでもこうして思い出すと若かりし頃の良い思い出です。