中学2年生の夏休みでした。

「夏だし、ホラーゲームやりたいよなぁ、、、」

4つ上の姉とこんな他愛もない会話が悲劇のきっかけだったのです。姉との夏休みをホラーゲームで満喫すべく、私はすぐさま自転車にまたがり、るんるん気分で漕ぎ出しました。当時の私は、自転車で事故など起こしたことがなく、坂道があるとブレーキをかけず突っ走ってる系の少年でした。

「夏の坂道は涼しくて最高だわ!」

なんて思いながらその日もブレーキをかけず、下っていました。しかし、案の定悲劇は起きました。目の前に大きな石ころが落ちていたのです。私はとっさの判断でなぜか、右ブレーキだけをかけたのです。そう、「右ブレーキ」だけ。あなたももちろんご存知かと思いますが、自転車の右ブレーキは前輪のブレーキです。あとは想像の通りです。前輪だけキキーッとブレーキがかかり、浮かび上がる後輪。そして宙に舞う私。でも人間っておもしろいんです。とっさに体が吹き飛んで地面に着く瞬間って本能的に手から着こうとするんですよね。その人間の本能のおかげで、私は左手首を地面に着き防御姿勢をとりました。ありえない方向曲がりながら。正直折った瞬間はもちろん痛いのですが、折れたことに気づいた瞬間が激痛が走るんです。

なぜ、自分の骨が折れていることに気づいたのかというと、「骨が見えていたから」です。グロテスクな話になって申し訳にのですが、事実なんです。自分の手首から白いものが見えたことは正直信じられませんでしたね。当たり前なんですけど、骨って本当にあるのかって思いました。それからというもの激痛のあまり、立ち上がることもできませんでした。しかし、今の体勢のままだと自動車の通行に確実に邪魔になります。仕方なく家にいた姉に

「自転車から落ちて骨折ったっぽいんだけど、迎えにきてくれない?」

と電話でお願いし、助けてもらいました。なんとか自宅まで着き、買い物から親が帰ってきたので病院まで車で運ばれました。(ちなみに親の反応は心配されるというより、笑われたのを覚えています)病院に運ばれ激痛に耐えながら待合室で待たされました。緊急の診断だったはずなのに異常に呼ばれるのが遅くてすごい辛かったのを覚えています。

激痛のあまり足もふらふらで歩けないため、車いすで診療室まで向かいました。診断室にはおじいちゃんドクターが座っていて、自分の手を見るなり

「これは折れてるね」

と即答されました。一目わかるほど骨が異様な方向に曲がっていたため、当然だと思います。しかし、これからが本題。私がこの骨折事件で一番痛かった瞬間であり、人生で最もつらい瞬間でした。なんと、私の骨折している左手首を持ち、無理やり曲げ始めたのです。

「まずは、これで向きをちゃんとした方向に戻してみましょう!」

とか笑顔で言いながらです。「折れてるのに曲げるとかこの医者正気かよ!?」と本気で疑いました。初めて痛くて自然と号泣する経験をしました。しかし、結果的に骨の向きは変わらず無駄に死ぬほど痛い思いをした結果になりました。これをされてからは歩くのがふらふらというレベルではなく、まともに立っていることができないくらい力が入らなかったのが覚えています。その後詳しくレントゲンなどを取り、橈骨遠位端骨折と診断されました。手をついたときに頻繁に起きる骨折みたいです。その後二週間ほど入院することになりました。おじいちゃんドクターに無理やり曲げられても治らなかった私の手首は、結局全身麻酔を行って向きを戻されることになりました。全身麻酔ってすごいですよね、顔の前に機械が現われた次の瞬間に意識がひゅって飛ぶんです。手術が終わると私の左手首にはボルトという銀色の金具が三本埋め込まれていました。再度変な方向に手首が曲がらないようにするためです。それから約3週間ほどボルトを埋め込みながらギブスをして過ごしました。もうこの状態になるとギブスでカチコチに固定されるため痛みもあまりなかったですね。そしてようやくボルトも抜かれ、穴をふさぐための施術が施されました。

結果的に骨折から1ヵ月半~2か月くらいでギブスも外れて手首を曲げるリハビリを週2回ほどのペースで行いました。リハビリにお姉さんが毎回綺麗なお姉さんで、この時だけは骨折してよかったなと思いました。男って単純な生き物ですね。最終的に3か月もしたら普通に動かすことができるようなくらいまで回復しました。それから約8年、今でも骨折によって骨が見えた部分、ボルトが入っていた部分は見て分かるほどの痕がついてしまっています。しかし、手首は何不自由することなく今まで通り動いています。おじいちゃんドクターのおかげで人生一痛い経験もしましたが、「ブレーキは右だけかけちゃいけない」「自転車はスピードだしすぎると事故る」という当たり前のことに気づけたので良かったかなと思います。綺麗なお姉さんにリハビリもしてもらいましたしね!