22歳主婦です。
私が初めて骨折したのは小学6年の時でした。学校が終わり、近所の友達とおにごっこをして遊ぶ約束をしていました。基本的に男の子と外で遊んだり、ゲームしたりとヤンチャ遊びをしていましたが大きな怪我をしてこなかったので、だいぶ怪我をしない自信がありました。そう思って加減知らずでおにごっこをしていると、少しの段差を調子に乗って飛ぼうとしたら何かに引っかかり、手をついて落ちてしまったのです。あまりの激痛に声が出ませんでした。どうやら左手の肩から着地してしまい顔も擦り傷だらけ、でもそんなことより肩がいたくて動かせなかったんです。周りの友達もすぐにきて声をかけてくれました。とにかくあまりの衝撃だったので一旦家にいる母の元へ戻りました。
今までここまで酷い怪我をしてこなかったので母も驚き、いちお病院へ行こうということになりました。とにかく痛くて泣きじゃくりながら病院へ行くと、自分の順番が回ってきてレントゲンを撮ることに。初めてのレントゲン、何が何だかわからず言われるがまま、痛いのを我慢し無事に終えました。そのまま診察室へ入り、先生の話を聞くと、左肩を骨折しています。全治約3ヶ月でしょう。と告げられました。私は、えー骨折してるんだ。私。と驚くばかり。これが骨折か、と人生初の骨折を宣告されたあの瞬間は忘れられませんでした。
幸い、私は右利きなため右じゃなくてよかった。と一安心。右肩に湿布を貼って、ガーゼで手を釣るようにしてもらい、しばらく様子を見てまた1週間後に来るよう、先生から言われました。家に帰ると母は爆笑していました。鬼ごっこでつまづいて骨折って、と怪我した瞬間は笑えなかったものの、後になれば笑い話です。
当時私は、吹奏楽部に入っておりトランペットを吹いていました。当然両手使います。怪我をした当時は新学期早々の4月でした。コンクールが7月にあり、最後のコンクールだったため、そのことを考えると不安で仕方なかったです。ここは根性を見せなければ、と思い部活も休むことなく練習に励み、片手でもやってやる。とコンクールに向けて必死に練習しました。
しかし、しばらくすると右手で何もかもやるというのも限界が来ました。そこで、左手の指は使えることに気づき髪を結んだりすることも徐々にできるようになりました。ただ、洋服を着る時の大変さは今でも忘れられないくらい大変でした。全治3ヶ月と宣告されたけど、絶対早く治してやる。という気持ちでしたが、外で友達と遊ぶことが大好きな割に体育が大嫌いでした。特に水泳や跳び箱は憂鬱でした。5月ごろからプールの授業が始まりましたが、私は見ての通り泳ぐことすらできないので、制服で1人見学をしていました。このひと時が幸せで、ずっと体育見学していたいな。骨折なんか長引かないかな。と部活の時とは矛盾する気持ちですが、骨折は痛いし、不便だけど少なからず感謝していました。
とある日の朝、母親から突然、夜中どうしたの。びっくりしたわよ。両手あげて寝てたわよ。とっさに手を元に戻したけど、と言われました。言われた私も記憶のなさや、無意識さに驚きました。週に一度の診察でもなんともなかったので安心しました。その後、無事に骨折も3ヶ月ほどで完治し、大嫌いな水泳大会へも嫌々参加しなければならないことになりました。無事に普通の生活へと戻ることができ、7月のコンクールでも県代表に選ばれ、地区大会へ出場できました。今までの努力が認められたかのように嬉しかったです。骨折したことで色んなことを学ぶことができました。この経験をヤンチャで暴れまわる自分の子供にも是非伝えていきたいと思います。