小学生の頃は「おっぱい」をたいして意識することもありませんでした。でも、小学5年生の時にクラス替えで初めて仲良くなった女の子がいたのですが、彼女は体育の時に保健室に行くのです。なぜなのかすごく気になっていたある日、彼女から体育の着換えに保健室へ一緒にと誘われたのです。気になっていたのもあるので付いていくと保健室の先生も暗黙の了解のようでベットのカーテンを閉めてくれて着換えが始まりました。クラスの中で、いや学年で一番身長が大きかった彼女のブラジャーを見て驚きました。そうなんで、すごく立派なおっぱいがそこにあったんです。今では使われない言葉かもしれないですが小さくて細い私はシュミーズを着ていましたが胸の部分はツルペタなまな板のようでそれが年齢的に普通だと思っていたので、彼女のスポーツブラが衝撃的でした。たぶん、女子とはいえ他の子に見られてからかわれたりするのが嫌だったので保健室の先生に相談して先生の配慮で着替えさせてもらっていたのだと思います。

当然、仲良しとなったわけですから他言はしませんでしたが、あきらかに彼女のおっぱい+ブラジャーを見て女を意識せずにはいられなくなりました。同時にスポーツブラに憧れて母に買って欲しいと言ったのもその頃です。そんな私がブラジャーを嫌でも装着しないといけなくなるのにそう時間はかかりませんでした。身長が小さいのに中学2年ぐらいから胸だけがどんどん成長しはじめました。母親が巨乳なので遺伝というやつです。最初こそ憧れていたスポーツブラができ喜んでいたのもつかの間、どんどん成長する私のおっぱいは当時サイズがあまりなかったスポーツブラには収まらなくなり普通タイプのブラジャーをするようになりました。中学3年の終わりぐらいには体育で走ると胸が痛いし、肩は凝るし、セーラー服越しにも胸あたりが窮屈そうで男子の目も気になり走ると揺れるのがもろにわかる体育着に着替えるのが嫌で、体育も見学ばかりするようになっていました。

とうとう高校時代には成長のピークを迎えていてバストトップ87㎝となりブラジャーはDカップにまで成長しました。
当時は可愛いデザインはCカップぐらいまでが普通で、D以上になると肌色などの地味なお母さんがつけるようなブラジャーしかなく、その上カップの下にワイヤーが入っていないと持ち上がっている感に不安がありフルカップのお母さん仕様肌色ブラジャーしかできない女子高生でした。

普段は大きめの服を着たり何かを羽織ったりして隠していましたが一番困ったのは彼氏と夏まつりにいくのに浴衣を着た時でした。自分で雑誌を見ながら浴衣を着ていたのですが着てみてびっくり、おっぱいがむちゃくちゃ強調されて雑誌の女の子のように着れないのです。おっぱい大きくないモデルさんだからなのかとがっくりして脱いでいると、母が白い布を持って部屋に入ってきました。何度も着ては脱いでを繰り返していて胸が協調されるのを気にしていると悟ってくれた母が自分の着物ダンスから「さらし」を持ってきてくれたのです。しっかり巻くのも手伝ってくれて無事雑誌のモデルのようにスッキリした胸元で浴衣が着れデートに行けました。あの時、母が「さらし」を持ってきてくれなかったらたぶん、夏祭りをキャンセルしているか洋服ででかけていたと思います。

そんなおっぱいの成長に悩まされた学生時代もすぎ私も普通に恋をして結婚して子供を産むことになるのですが、またまた妊娠中におっぱいが成長してしまい困惑。最大でバストトップ97㎝まで成長してしまいました。ブラジャーのサイズもEカップとなりトランジスタグラマーなんて可愛い表現ではなくなり旦那には「ホルスタインちゃん」と呼ばれる始末。その後、出産して母乳子育てを終えた頃にバストトップ92㎝で落ち着いて現在にいたります。

今はアンダー75のDカップです。ただ振り返ってみて、胸が大きい事が嫌で恥ずかしいと思っていた10代20代でしたが実際巨乳のおかげもあり幸せにもなれたので今は案外巨乳の自分を気に入っています。どんなに幸せかというと、結婚した旦那様はかなりカッコいいのです。結婚して今でもたまにボーっと見とれることがあるくらい顔が好みです。でもそのカッコいい旦那様は自他共に認める「おっぱい星人」です。女性の魅力はおっぱいだと言い切ります。たぶん、胸が小さかったら付き合ってもらえてなかったと思います。きっかけにすぎないかもしれませんが、恋愛の武器になったのは間違いないです。今となっては、ホルスタインちゃんな巨乳に感謝しています。