豊かな胸への憧れ、貧乳のコンプレックス

私がバストにコンプレックスを抱えるようになってしまった出来事といえば、10代の頃の思春期が始まりでした。小学生の頃までは周囲の同級生との格差も感じていなかっやのに、突然中学生になったころにペチャパイだということが判明しました。思春期以降も大きくならないバストは、左右が外を向いており三角形のような膨らみでした。乳首といえば大きく、グラビアや綺麗な女性のバストと比較すると、とても不細工な形状をしていたのです。バストの真ん中はまな板にように平らで、谷間が出来るなんてありえないというような大きさと形の胸なのです。私の母親はお椀型の丸みのあるバストで、加齢とともに垂れ気味になってきても女性らしさを失わないおっぱいでした。娘の私が似ても似つかない形状をしており、思春期以降も子供用の三角ブラを買ってもらっていましたよ。高校生まではスポーツブラでも恥ずかしくはありませんでした。

豊胸の母親

まず、母親のバストの形状や大きさと比較して、見劣りしていることを悟りました。だって、母親とは同じ部屋で着替えていたりしたことも多かったので、インナーの下のたわわなバストが想像できました。いつまで立っても魅力的なバストとは程遠い自分のバスト、ブラジャーも学生用のものから大人向けのものへ買いかえる機会もなく大学生へと進級していきました。

ブラジャーデビュー

ちょうどその頃、通販である下着メーカーが流行し、友人たちと共同で購入していました。共同で購入すると一人分の送料が安くなるからです。そのときが初めてのブラジャーデビューでした。ワイヤー入り、2分の1カップなど、ブラジャーにも種類があるということを知りました。そんなブラジャーデビューのおかげで、大学生の頃はあまりコンプレックスに思うことも少なかったんです。

ところが、大学生のとき学部でひときわ目を引いている女性がいました。その子は洋服の上からみてもたわわなバストであることがわかるんです。本人は体のラインがでない洋服を選んで着ていたようですが、バストの大きさから形までが把握できました。さらに、よく痴漢にもあうという話をしていました。周囲の自分程度のバストをもつ友達は、一歩引いた目線で見ていたんです。痴漢に会うなんて、デメリットもいいところで、痴女のようだな。。とみんな引いていたんだと思います。

貧乳がばれるタイミング

体育のとき、薄いシャツから見えるバストの膨らみは同性からでも、欲情してしまうほどのものでした。ところが、私ときたら大学生になってもバストの膨らみは高校生程度のもので、相変わらず左右の乳首も外側を向いておりブラジャーをつけても今ひとつでした。洋服の上からみても今ひとつで、まさしく貧乳のバストでした。でも、そのおかげで電車の中でもバスの中でも痴漢に会うということはありませんでした。夜の駅から自宅まで一人で歩いていても、後ろから後をつけられたという経験もありません。友人とスケートに行った時、一人のおじさんが教えてあげようとしてつきまといましたが、私には興味がないらしく友人の方につきまとい行為をしていました。選ばれないことで得することもあるんだということを身を持って知ることになった件でした。

女性として社会で身を守るには、貧乳のほうがよかったんだという安心感はありました。夜道で後ろから抱きつかれて見知らぬ男に体を触られた。。なんていうことは一切ありませんでした。カジュアルな服装をしていたら、周囲からもまるで、男のように見えたのかもしれません。

母親の年齢になっても母のように豊満なバストにはならないので、バストの大きさや形状は完全には遺伝しないんだということがわかりました。私の三角形のバストは母親の親、つまり祖母にいたのかもしれないし、父型の祖母にいているのかもしれません。