私は現在、26歳の男です。

人生であれほど痛い思いをしたのは、今でも鮮明に覚えております。それは小学4年生の時、家族で当時人気があったドリームランドに行くことになりました。朝は楽しくプールに入り、昼からは遊園地を満喫して凄い楽しかったのをよく覚えております。その日の夕方頃、よく大道芸人などが使う誰もいない舞台で姉と走りまわっていておりました。姉を追いかけていると、ふと躓いて激しくこけたのをよく覚えています。姉が

「え!?お父さん、しんやの腕が!」

私もえ!?ってなり、腕を見ると完全に腕が折れて説明をすると、腕が一段ヅれているって状況になりました。腕の一本が折れているのでなく、完全に骨折した状況です。子供の私は見て、痛さが来てすぐに泣き散らかしました。親がのんきに

「しんや、寿司はあとになるよ」

と言って、その当時は携帯なんてまだ普及がしてなかったので、近くのスタッフを呼び、救急車を呼んでもらうことになりました。救急車が来るまで痛かったのですが、姉が励ましてくれていました。その後救急車にのり、この後今でも覚えている痛みを味わう羽目になるとは思ってもいませんでした。

病院につき、医者が

「これは伸ばして元の位置に骨をもっていかなければいけないね、少し痛いけど我慢してね」

と。なにをされるんだろうと思っていると、いきなり数人に腕を抑えられ、二人で私の腕を伸ばし始めました。恐ろしいくらいの激痛が走り、なくはわめくはの私。親は

「頑張れしんや、この後寿司やぞ」

とずっと言っていてくれたのをよくおぼています。その後何とか骨の位置と腕の位置が合い、腕を固定してもらい、全治1カ月から2か月と告げられました。その時親が、私の保険証を持っていなく、また来なくちゃならへんなーっと落ち込んでいたのを覚えております。病院後、寿司を食べに行くことになりましたが、あれだけ大好きな寿司が、全くのどが通らないくらい痛みがまだ残っていたのをよく覚えています。何より、その当時はまっていたマリオ64ができないじゃないかーっと嘆いていたのですが、今でもこれは不思議な経験なのですが、64のコントローラを片手で自在に操り、壁蹴り以外のコマンドを右手でうまいことして、ラストのボスまでをクリアしたのをよく覚えています。

目が見えなくなると、耳が良くなる、他の五感がすぐれるっていうじゃありませんか。本当にその通りだと私は思いました。普通の人ですと64のコントローラを片手で自在にこなすなんて無理だと思うのです。ですが、若さもあったのだとは思いますがそれが出来たのです。人間って不思議だなと、今書き込みながら凄い思いました。その後は、学校では体育の授業が出れないのがつらかったのと、折れている所が固定されているのでかゆかったのをよく覚えています。ですが、痛さがなくなってくると、骨折ガードとかして遊んでおり、それのせいで、先生に

「少しずれているじゃないか!」

と怒られました。骨が折れたら、素直にゆっくりと何もせずにしましょう。親は、保険証が無かったので、もう一度ドリームランドの近くの病院に行き、お金を取りにいっていましたが、ほとんど取りに行くほどの金じゃなかったと言っていたのを覚えています。骨折って案外たかくないのかな?と疑問がありますが。骨は折れると、本当に困ると思いますが、折れた私としては、折れたら折れたで他の部分がすぐれて使えるようにもなり、更に折れづらくなりますので、悪い事だけではないと思います。ただ、折れた時の元の位置に戻す作業は、半端じゃないくらいの痛さなので、覚悟してください。複雑骨折は私の比ではないと思いますが。

小学4年生の遊園地の出来事でした。