49歳の自営業です。

私が骨折したのは小学校卒業間近の頃でした。骨折した原因ですが、思い起こせば馬鹿なことをやっていたなと恥ずかしくなるばかりですが、小学校体育館の天井から飛び降りてみせることが、当時の自慢の一つで調子に乗っていた矢先に骨折しました。昼食休憩時間、その日もいつものように、飛び降り着地すると周りに見に来たクラスメートたちからの歓声が聞こえる予定だったのです。しかしながら、その日に限り着地した際に右足首周辺から変な音がしたのです。その後すぐにジワリジワリと痛みを生じ、右足を地に着けることが出来ないことを知りました。クラスメート達も、

「これはやばいぞ」

等と声が上がりました。教室に片足でピョンピョンと跳ねながら戻り暫く授業を受けていると、足首周辺に激痛が生じ初め、先生に断りを入れて保健室へ行きました。保険室の先生に言われるままに上履きを脱ごうとすると、激痛で思うように脱げませんでした。少し手が足に触れただけで痛いのです。時間をかけて少しずつ脱ぎ、次に靴下も同様に脱ぎました。素の足首周辺が、大きな卵が入っている形状に変化していることに気が付かされ、

「何だこれは!?」

と、とても恐ろしい気分になったことを今でも覚えています。保健室の先生は、骨折しているかもしれないということで、直ぐに救急車を呼んでくれました。車中、足首あたりの痛みは極度に達していたため、車が揺れ動く度にその痛みが敏感に感じられるようになっていました。

元来学校から病院までの距離は全然遠くないのですが、この時に限り、何て遠いのだろうかと思った程でした。診察室に入ると、今日病院に来た経緯を説明し、その後、足首を中心にいくつかの角度からレントゲン撮影をされました。暫くして病院の院長よりレントゲン写真に写る私の足を見せながら、距骨の複雑骨折と診断され、2~3ヶ月は足を固定し安静にすること、外出は極力避けること言われました。レントゲン写真上での問題の部位は、足の内側に位置し骨が砕けたかのように見えました。心の中で、

「これは大変なことをしてしまったぞ」

と、自分がおこした行為に対し後悔したことを覚えています。院長との話し合いで、1~2日入院した後自宅療養することになりました。初日は石膏のようなもので作られたギブスを手配いただき、ベッドでは右足を上方に固定した状態で寝かせられました。翌日午前中には、退屈で勝手の行かない病室から、自宅への移動が許されました。

自宅ではやはりひたすら寝ているしかなく、この時ほど書物を読んだことはありませんでした。右足はギブスに覆われており、当然石鹸等で洗えないので痒みを生じ、イライラしたことを今でも覚えています。外の空気を全身で吸いたい時は、松葉杖を頼りに自宅の周辺を歩きました。書物を読みすぎて目が疲れてくると目を閉じ休めるのですが、その間自分を振り返れる時間があることを知りました。生まれてから小学6年生の自宅療養開始に至るまでの間、自分自身を深く振り返ったことなどなかったな~と反省し出した自分がいたのです。療養中の2ヶ月間、自分はなんであんな形でしか友達に自慢出来るものがなかったのだろうか?自分はなぜ友達を大切に思って来なかったのだろうか?自分はこれからどうしたいのか?等々物思いに耽け始めました。

療養中、複雑骨折部位の回復状況を観ていただく為に、病院へ数回行く訳ですが、その後半は院長先生からギブス解除の予定日を伺うのがワクワクでした。このころギブスの中の足はやせ細っていて、とても貧弱に見えました。ギブス解除は結果的に2ヶ月半近く経ってからでした。

ギブス解除後はリハビリ療養の日々の始まりです。2ヶ月半歩いていないやせ細った足は、どこかの国の栄養失調難民の様でした。前半は血行を良くするためなのか、足を温めマッサージが中心でした。この時初めて目の不自由な方に出会いました。マッサージ師は目が不自由と説明を受けたのですが、マッサージが上手だな~といつも感じていました。たまに話もしたのですが、自分の世界観をしっかりもたれている立派な人だと記憶に残っています。後半は歩行練習も加味されるのですが、足を地に少し付けただけで痛みを感じたため、足を地に着ける勇気が暫くの間ありませんでした。この時、二足歩行出来ることの有難さを強く身に染みたのを覚えています。当たり前に歩いていた過去の自分、でもそれは足が二本有ってその二本ともが健全な足であったゆえに歩けていたのだ、と思うようになりました。また、実は歩けるって幸せなことであり、感謝なことなのだと気づかされました。

複雑骨折したことで、療養とリハビリの時間が少し長かった様ですが、このことで自分を振り返ることの大切さ(今日生きてきた一日や過去を反省すること)、自分にとって当たり前で考えもしなかったことって身近に有り、実はその身近な処にいくつもの幸せや感謝をもたらす要素が存在しているのだということを知ることができました。