59歳11ヶ月になる男性で零細工場を経営しています。

27歳の時に市民ソフトボール大会で左足くるぶしを亀裂骨折しました。その時の職業はサラリーマンで営業でした。原因は一塁から二塁へ盗塁した時にスライディングをしたのですが滑り始める距離がベースに近すぎて,しかも軟式野球のグラウンドだったので固定ベースで滑り込んだ左足に相手の選手が乗っかる感じにもなり,足の突き指のような痛みを感じました。元々我慢強いタイプですし試合も一回で控え選手も一人しかいないので,ズギスキと経験した事のない痛みだったので自分のボジションであるショートを守る事はとても無理だと感じたので,一回裏の守りからファーストにしてもらって一応試合終了まで我慢して出場しました。自分は一番バッターだったので不幸にも三回打席が回ってきて,それも後の二回はよりによってフォアボールで走者になってからは足を引きずって進塁しました。試合が終わっても痛みは益々激しくなり,今まで見た事がないほど腫れ上がっていたのでこれはやはり一度レントゲンを撮って貰った方が良いかなと考え,病院に行く事にしました。

チームで最重量の友人が総合病院まで送ってくれて,おんぶで院内に運んでくれたのですが整形専門の先生が出ていなかったので,とりあえず捻挫という診断になりました。今思えば整形の専門でなくても医者ならば骨折くらいわからなかったのかな(笑)と感じますが,とりあえず友人にグラウンドまで送って貰い何とか運転して帰宅しました。家に帰ってからも冷やし続けたのですが少しも腫れと痛みは改善されないので,その晩はほとんど眠る事が出来ず翌日の月曜日に会社を半休して同じ病院の整形外科に受診しました。そこで出た診断が二箇所の亀裂骨折で即刻ギブスです。それからが苦戦の日々が始まりました。

まず仕事では会社の車がマニュアルだったので運転できず,自分の車は幸いにもオートマだったので自分の車を使って納品や訪問を続けました。あれが右足骨折だったら完全に車の運転は出来ませんでした。まさに不幸中の幸いですね。納品でも松葉杖を突きながら小脇に物を挟んだりして何とか凌ぎ,大きな物を納品しなくてはいけない時は部下に同行してもらいました。小さな会社ですからいつも部下同行してもらうような人の余裕はなかったのです。家でも松葉杖とけんけんで生活していましたが,寝る時には自分の部屋ではなく一回の居間で寝ました。一番不自由したのは風呂に入る時でギブスを水に浸けてはいけない為,ギブスの上をビニール袋で覆いゴムチューブで括って,浴槽に浸かる時は左足を浴槽に乗せたものです。

そんな不自由生活を一ヶ月続けた後に待望の受診日がやってきました。ギブスを外して貰おうと楽しみにして病院に行ったのですが医師は5秒程見た後にはいもう一ヶ月と言って一ヶ月後の受診を命じたのです。これは困った事になったと思うのとそんな簡単な受診で判断するなという憤りとで,今でいうセカンドオピニオンを受ける決断をしました。受診した医者は総合病院の整形外科部長で一度に何人もの患者を診るスタイルだったのですが,どの様に短時間で判断したかのか納得がいかなかったので,親戚の知り合いになる民間の整形外科医院に電話して貰いそこで再受診をしました。レントゲンを撮った診断は特にギブスを外しても問題ないですという事だったので,早速外して貰いました。やっと解放されたと嬉しくなりましたが一ヶ月も患部を固定すると足首が曲がらなくなっているので,医師に教えて貰った入浴中の曲げ伸ばしを毎日行って機能を回復するようにしました。

今思えば完全に違和感が消えるまでには2年はかかった記憶がありますが,その後も右足と左足の形が変わったのかスキー靴でも右足に寸法を合わせると左足が入らないとか,やはり元通りにはならないなと思ったものです。でも骨折したお陰で当時知り合いの段階だった現在の妻と縁を深める事が出来て,松葉杖を突きながら花火大会に行くなど記憶に残るデートができた事はとても良かったですね。痛くてて甘い思い出です。