40歳パソコン事務をしています。

骨折した時の年齢は12歳で小学生。剣道をしている時に足をひねってしまいました。相当思いっ切って踏み込んだらたまたま運が悪く足をそのままひねってしまいました。激痛ですぐに病院に行きました。診断は右足首の骨折でした。2か月通院という結果で松葉づえを支給されました。右足くびの表をひねっていたみたいでアキレスけんには異常なかったのでまだいいほうだと言われました。 

病院に行くまではうちの母が看護師だったため近くに病院もあったので母の病院に行きました。足首をひねって相当痛かったのを覚えています。そのせいでギブスをはめないといけませんでした。母の病院に通院するしかなくて入院まではしませんでした。少し学校をさぼりたかったんですが、到底無理でちゃんと勉強をしなさいと母が強く言ったことを覚えています。足が痛い時ぐらい授業をさぼりたかったです。ガミガミ怒られると母を嫌いになり、めざわりな存在というようになったのもこのころからだったです。ちょうど反抗期になってきたのもこのころからでした。身長は、まだ先に伸びました。あまり悪いこともできず、面白くない時期でした。心も足も痛かったと痛感しました。

病院に行ってのリハビリは最初松葉づえで左足と松葉づえをついてすすんだりしていました。ギブスをはめていたため相当移動には苦労しました。その時期水泳の記録会もあったので去年山鹿市の大会で平泳ぎの代表に選ばれているので最後の6年生の時は悔しい思いをしました。水泳の大会はケガで断念でした。ギブスが電動のこぎりで切断されようやく右足首が動かせるようになりました。しかし包帯をまだしていないといけなくて松葉づえをしなくてあるけるようになったんですが、まだすぐには完治とはいけませんでした。足が動かせるようになるには時間がかかりリハビリをして思いっきり足が動かせるようになるには相当苦労がありました。ケガがよくなって最後の小学校の水泳の平泳ぎで25メートル19秒だったので本当に大会に出たかったです。剣道も踏み込みがうまくいくのに時間がかかりました。右足首の骨折はそうとう負担でした。少しづつ踏み込む感をつけていって、食事でもしっかり牛乳を飲んだり、リハビリにも耐えてしっかりした状態に体調を回復させました。ちょうど中学校時の成長期に入って足が落ち着きました。

骨折にまつわる困った話で足がよくなっていてもギブスをはずすと足が細くなっていました。剣道をしていて踏み込みがなかなか元の状態に戻ることが難しかったです。だから冬になって小学校最後の剣道の大会で個人戦で地区優勝してブランクがあったのを吹き飛ばしました。どうやって勝とうかと思い悩んだ末僕より15センチ大きい相手を2回戦で2本勝ち破るとその勢いで優勝までしてしまいました。ケガをしても大きな身長の相手にびくびくせず、その相手にも1回負けたことがあるだけであとはほとんど勝っています。中学校で中体連の個人戦の1年生の部でその大きな身長の相手とうちの中学生の代表争いをしていました。その大きな相手に自分が勝って代表を手にしました。骨折してもあきらめない気持ちがそんなあとで熊日新聞にも載れたんだと思います。熊日新聞の大会は九州学院の全国優勝記念大会でベスト8でしたが、たまたま僕ともう一人が試合をしている姿が写されていました。相手も小さかったんですが、僕が小手を打ったあとが載ってて良いシーンを撮ってもらいました。骨折したり、足の故障があっても結果を残せたのはいいことだと思います。骨折して運よく新聞に後で載れたのもそのときの苦労が僕をよくしてくれたおかげと思っています。