右足の親指を骨折した経緯

私は、34歳、自営業の女性です。

球技などの運動全般がとても苦手なので、スポーツをする機会も少なく、これまで怪我などには無縁の人生を送ってきました。しかし、そんな私も1度だけ骨折を経験したことがあります。右足の親指を骨折してしまいました。

その出来事は、私が31歳の時、2013年の冬から春に季節が変わる頃に起こりました。家族の者が、いつも1階の玄関外の郵便受けから取り出した封筒などの郵便物を近くの階段に置いていました。私はそれを知っていたため、2階にから1階に降りる際に、いつもは、郵便物は避けて降りていました。しかし、その日は、私宛に届いた待ちに待った封筒が届きました。私は、階段を降りる途中に、その封筒の差出元の文字が目に入り

「ついに届いたんだ」

と思いました。私は「やっと届いた」という気持ちで一杯になった、その一瞬で足元が狂い、階段を一段分飛ばして足を着地させる態勢となってしまい、更にその体勢が狂い、最終的に6段ほどの階段を滑り落ち、しりもちをつく形で階段から落ちました。身体の節々痛かったものの、「ただ階段を落ちただけ」と思っていた私は、まさか、足の親指を骨折しているなどとは思わず、そのまま放置してしまいました。

整形外科での診察

2日ほど経過しても痛みが引かず、右足の親指は黄色になっていて、仕方なく病院に行きました。かかりつけの総合病院窓口で説明した所、整形外科を受診しました。レントゲンを撮ることになったものの、私は

「もったいないなぁ、レントゲン代で外食出来るのになぁ」

とのん気に考えていました。レントゲンが終わって診察室に戻ると、医師から

「折れてるね」

とニコニコして言われました。医師が笑っていたし、冗談で言ってるのかなぁと思い、私も笑顔で

「本当ですか」

と返したのですが、医師は普通の表情になり、レントゲンを指さして

「ここが折れてるよ」

と言いました。私は、まさか自分が階段から6段落ちただけで、人生初の骨折をするとは夢にも思っていなかったので、何回か聞き返してしまいました。

「治療法は特にない、骨がくっつくを待つだけだ」

と言われて、湿布のような貼り薬と包帯で固定することになりました。

打撲と骨折の違い

医師に聞いた所によると、打撲と骨折の違いは、私の親指のように黄色に変色している場合は骨折の可能性が高いということでした。皮膚の下で骨が折れると出血することが多く、そのため内出血の様子が外から黄色に変色して見えるみたいです。2週間に1回経過を見せに通院することになりました。毎日湿布を交換して親指を包帯で固定していました。

不運だったのが、当時していた仕事が、接客業で、立ち仕事、かなり動き回る仕事でした。上司には、骨折の件は伝えていましたが、人手不足もあり、

「歩き回らなくてもよいから出勤して欲しい」

と頼まれて出勤していましたが、お客様が沢山くると動くしかありませんでした。また、私としても、親指も痛みがあまりなかったこともまり、通常通りの仕事をしてしまっていました。その結果、2週間に1度の経過観察でも骨は全くくっつく気配がなく、医師には怒られました。私も通院するたびに、

「レントゲン代がもったいないなぁ」

と思っていました。結局、その時の骨折とは関係なく、前々から、座って出来るタイプの仕事を探していたこともあり、次の仕事が見つかったため、激しく動き回る立ち仕事は退職しました。退職時も骨折は完治していませんでした。その後、2ヶ月後に完治しましたが、時々痛むことがあり、病院に受診した所

「古傷が痛むって言うでしょ、そんな痛みだよ」

と医師から言われました。治っても痛むことがあるみたいです。保険などは使いませんでした。痛みがなかったため、治療中に近場の海外にも行きましたが、加入した海外旅行保険には、きちんと怪我をしている旨を申告しました。階段を歩く時は、必ず電気をつけて、他に気を取られる事なく、ゆっくり歩くように心かげています。骨折の元になった封筒の中身はただの振込み用紙です。