現在29歳、在宅業務をしております。

骨折をしたのは中学3年生の頃で、部活(柔道)の試合中に右鎖骨を骨折しました。相手の体が私の右鎖骨部にのしかかったことによりバキッと大きな音がしたのですが一瞬のことで一体何が怒ったのか理解することができず、大きな割れたような音がしたことで先生方がかけつけてくださり、立ち上がることが出来なかったため骨折しているだろうということになり、試合は中断。合宿中であり私の学校の顧問は他の試合の審判をしていたため、他校の先生に病院に連れて行ってもらいました。

知らない土地で、知らない先生に病院へ連れて行かれる不安と右鎖骨が熱くて動かない不安もあり、震えがとまりませんでした。程度が酷いと鎖骨の中に針金を入れて固定する手術をしなければならないかもしれないと言われていたのですが、診断の結果そこまで酷く折れてはいなかったので、たすき状のバンドのようなものでお風呂の時間以外は鎖骨を2ヶ月ほど固定しておかなければ鳴らないとのことでした。

診察が終わった後家族が迎えに来た瞬間に水道のように目から涙が溢れて止まらなくなり、右鎖骨も急にズキズキと痛み出したのには驚きました。治療をはじめてからは、ずっと激しい痛みが遅い、少しでも体を動かすと痛いのです。子どもの頃こけて顎が割れて5針縫った時も涙一つ流さなかったのですが、鎖骨の骨折の痛みは本当に泣かされました。痛み止めを処方されていたのですが、ロキソニンを毎日飲まないと痛みに耐えられなかったのですが、ロキソニンには胃を荒らす効果があるとかで、かならず牛乳と一緒に飲んでいました。痛み止めの効果が切れると激しい痛みがまた襲って来ていたくなるのが怖くてロキソニンと牛乳が手放せない毎日を送っていました。

お風呂に入るのも一苦労です。まったく右腕が動かないので髪の毛や体を片手で洗わなければなりません。片手で泡を立てるのが以外に難しく、髪を充分に濡らし頭の上にシャンプーを乗せ左手でぐるぐると手を動かすのですが初めはうまくいかず泡が目に入り、でも片手しか使えないのですぐにはシャワーを使えなかったりと苦労しました。

思春期まっただ中だったので家族にはお願いできませんでしたので一人でお風呂で毎日格闘しました。もうひとつ苦労したことがあります。毎朝ベッドから起き上がる作業です。体を起こす際にどうしても上半身が動かないのです。動かそうとするとまた激しい痛みが襲ってきます。ですので、枕元に携帯電話を置いてもらい、起床すると家に電話をかけて母を呼ぶという毎日を送っていました。母に体を支えてもらい起き上がり、着替えもひとりで出来ないですし、ボタン付きの服でないと着られない為(中学時代はセーラー服だったのであまり苦労はしませんでしたが)すべて母にお世話をしてもらって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

唯一救われたことは私は左利きであったため、ご飯をたべたり文字を書いたりといった作業に困ることはなかったです。右手をずっと下に下げた状態で2ヶ月過ごすと、おもしろいことに右手だけ爪の伸びるスピードが速かったのを覚えています。

骨折をして良かったなと思ったのは、元々私は根っからの文科系で美術部に入ろうと思っていたので柔道部には入ろうとは思っていなかったのですが、ジャイアン的存在の小学校からの同級生に私も柔道部に入るからお前も入れ!といわれ断れず、3年間いやいや部活を続けておりこれ以上柔道を続けたくないけど辞めることも出来ない、引退まであと数ヶ月もあるぞ…と悩んでいた頃だったので、治療をしリハビリ後完治した頃には部活の引退シーズンをむかえたので誰にも文句を言われずに部活を合法的に早期引退が出来たことです。