私は現在28歳で、パートとして働いています。

小学校のサッカーでの転倒

骨折を体験したのは今から15年以上も前となる、小学校6年生の時でした。骨折したのは体育の授業で男女別のサッカーをやっている時でした。女子同士のサッカーでは、サッカーボールを必死に取ろうと皆ボールの周りに団子のように集まってきます。私もその1人だったのですが、運動神経が比較的良かったおかげか、サッカーボールを団子の中からうまくはじき出しました。そして自分も団子の中から抜けようとした時、クラスメイトの足に引っかかり、転んで左腕を地面につきました。

いつもであれば転んで腕をついたくらい何ともないのですが、その日は尋常ではない程痛んだため、保健室に行くと「骨折かもしれない」と言われてすぐにタクシーで接骨院に連れていかれました。

接骨院での診察

タクシーの中では痛みのせいか段々と気分が悪くなってきて、接骨院についた時には真っ青な顔になっていたそうです。接骨院ではまずレントゲンを撮ることになったのですが、サッカーをしている時に着ていたビブスが撮影に邪魔だと言われます。すぐに脱ごうとするも、腕が曲げられず、「これ以上曲がらないよ!」と半泣きになりながら看護師さん2人がかりで無理矢理脱がされました。

いざレントゲンを撮ると、見事に左腕前腕の尺骨が骨折していることが判明しました。先生曰く

「成長期だから骨が薄くなっているんだよ。だからちょっとしたことで折れちゃったんだね」

とのことだそうです。

ギブス生活

その時は骨折をした絶望感と、ギプスをして学校の通う自分の姿が想像しただけでとても恥ずかしく、「いつ治るんですか!?」と泣きながら先生に聞いた思い出があります。完治には1か月半ほどかかると言われ、その日から人生初めてのギプス生活が始まりました。片腕にギプスをしていると服の着脱、文字を書くことなど様々なことに支障が出てとても不自由です。ただ私はそれよりもギプスをしていると見た目がいかにも怪我人で、学校に行けば「触らせて!」と言われることが嫌でした。唯一嬉しかったのは、腕が不自由だからという理由で給食当番をしなくて良かったことや、給食を席までクラスメイトが運んできてくれたことです。子供心ながらに優越感に浸ってしまいました。しかしギプスが蒸れるせいでかゆみもあったりと、やはり苦痛の方が大きかったです。あまりに辛かったので、病院に行く度にかゆみ止めも処方してもらっていました。

通院治療と完治までの期間

病院には週1回のペースで通いましたが、最初の通院では経過を見るためにギプスを外され、骨折した部分を先生が直で触ったのですが、それが飛び上がるほど痛かったです。先生は

「しばらく安静に動かさなければ治るよ」

と言うものの、本当に完治するのか、とにかく不安でした。しかし2度目の通院でレントゲンを撮ってみたところ、先生に

「治りが早そうだね。前回より大分良くなっている」

と言われ、その日からギプスも硬いものからより軽く柔らかいものに変えてもらいました。これがとても嬉しく、もうすぐ治るかもしれないという希望が湧いてきました。さらに次の週のレントゲンにはもう骨同士がくっついているようで、完全には固まっていないがあと少し安静にするようにと診断され、ちょうど骨折から1か月経ったその次の週には、骨が完全にくっついていました。予定より半月早く完治したことに先生も私も驚いてしましましたが、先生によると

「成長期だから骨が薄くなって骨折したけど、成長も早いから治るのも早かったのだと思う」

とのことでした。最後の通院を終えた時は、ギプスをこれ以上しなくていいことや、お風呂で自分の腕を洗えるのでもうかゆくならないことなど、たくさんの不自由さや辛さから解放され、とても嬉しかったことを覚えています。骨折を通して骨折の痛みやギプスをつけた生活など様々なことを体験しましたが、あのような経験はもう2度と骨折はしたくないと思っています。