現在私は、両親の介護や家事、ボランティア活動をしながら、アルバイトを模索する56歳女性です。骨折したときの話を体験談にまとめました。

椅子で指を骨折した話

子供の頃から、転ぶことが多く両膝はいつも傷だらけでした。しかし幸いにして、骨折の経験は無く、50年以上過ごしていたのですが、4年前の秋の夜、52歳の私は不覚にも骨折を体験したのです。骨折した箇所は、左足薬指の第一関節。この時は、ダイニングチェアの脚にぶつけたのです。どうやら打ち所が悪かったせいなのか、かなりの激痛が走ったことを覚えています。でも、つまづくことなんでよくあることと思いながら、周囲が赤く腫れていたので、夜に湿布をして休むことにしました。

2013年11月の第三木曜日、世間ではボジョレーヌーボーで乾杯している方も多かったようですが、私は家にあったハウスワインを少し頂く程度。さほど酔ってはおらず、片づけをはじめようとダイニングにむかった際に、”コッツン”と足をダイニングチェアにぶつけたのです。「あら、またぶつけてしまった」と軽い気持ちながら、ズーンと痛みがあり、しばらくは足先をさすっていたのです。目から火花のような衝撃はなかったものの、時間とともにズキズキしてきたのです。湿布を貼っていれば痛みも落ち着くだろうと考えて、その晩を過ごしました。しかし翌日も痛みや腫れは続きました。この週末は、仙台の街は、お祝いムード。宮城の地に「東北楽天ゴールデンイーグルス」野球球団がきて、この2013年は、なんと球団初の日本一となり、優勝パレードも行われることになり、楽天ファンにとっては、嬉しい限りでした。この記念すべきパレードを楽しみにしていたのに、足の痛みは続いており、外出はもちろんできませんでした。

整形外科での診察と処置

翌日、母が通院している整形外科の診察日。付き添いの私は母の診察後、主治医に「お恥ずかしいのですが、イスに足をぶつけて、なかなか腫れがひかないのです」とソックスを脱ぎ診ていただくことにしました。すると

「ずいぶん腫れていますね。レントゲンを撮りましょう」

と言われ結果は、

「骨折していますよ。処置しましょう」

「エッ!骨折」

初めてのことで驚きました。”こんなことで骨折するなんて、なんてか弱くなっちゃたのかしら…。”とつぶやきながらも、恐る恐る看護師さんのいる処置室に入りました。プラスチック製のシーネを足の大きさに切って、シーネを足裏にあて湿布を張り、その後は包帯でグルグルと巻かれた左足先は、痛々しいものでした。

シーネとは、副木のことです。

副木とは、脚に副木をあてたところ
副木(ふくぼく)とは、骨折した部分や関節などを臨時的に固定する器材である。副子(ふくし)、シーネ、添え木・副え木(そえぎ)、スプリント(Splint)、ブレイス(Brace)とも呼ばれる。

通院中の痛み

3日後、1週間後と通院し、時々骨のつき具合をレントゲンで確認。その間自宅でも、日中はしっかりシーネをあて、入浴時にはずす、という日々が年明けまで続きました。1月の初旬にシーネは外れたものの、痛みはまだ残っていました。最終的には2月の半ばの診察で、完治となったのです。治療中は、靴選びに少し苦労しました。ぴったりした靴がはけなかったので、スニーカーの紐をゆるゆるにして履きました。サンダルは、つまずくのが怖くて履きませんでした。幸い左足だったので、AT車の運転も可能でした。

治療費と保険

日常の生活にも通院という時間が増えることは、おのずと一日の優先順位を決めなければならず、厄介なことでした。リハビリとまではいえませんが、冬場の冷える時期であったので、自分なりに足先の循環がよくなるように、マッサージは欠かしませんでした。治療が終了してから、自分の加入している生命保険を確認すると、1口ですが「骨折・通院」の場合も治療費が支払われる内容のものである事がわかり、申請後5万円の給付がありました。健康な時には、年払い金額も高く感じますが、こんな時に思いがけず支払われるのが、やはり保険。年齢とともに見直しも大切だなと思いつつ、そのまま現在も継続しています。

こんな小さな指先でさえ痛みがしばらく続いたのですから、大怪我をした人達は本当に大変なことでしょうと、その時改めて感じたのでした。この体験を何人かの友人に話した時、ある方は、玄関先でつまずき足の小指を骨折した、ちょっと前かがみで無理な体勢で伸びをした時に肋骨にヒビが入った、など周りにもちょっとした骨折の体験をされている方が多いことに驚きました。骨折は、スポーツ選手や事故によるものだけではない、何気ない日常の中でおきることに、高齢者だけでなく、私達の世代も日々の生活に気をつけながら過ごしていかなければと、反省させられた出来事でした。