右肘の複雑骨折の話

現在51才、美術館で展覧会の仕事をしています。

その仕事の前は書店で働いていましたが、休日に自転車で転倒して右肘関節を複雑骨折しました。9年前の2月のことです。

ショッピングセンターから帰る道が工事中で、車両出入り用の鉄板の上を通って滑り、右足をつこうとしたとき歩道の区切りのブロックとペダルに足が挟まり、自転車ごと傾き、右肘からアスファルトに落ちたのでした。

ものすごく痛かったけれども、自分ではそんなにひどく叩きつけられた感覚はないし、冬のことでダウンのコートを着ていてクッションになったと思っていました。その晩はお風呂にも普通に入って、休養したら痛みが引くのではないかと考えていました。

ところが翌朝、ちょっと押さえた時に悲鳴をあげるほどの激痛があり、これは打ち身ではないとやっと気づいたのです。

病院での診察

病院に行って、検査をしたら関節部分が外れてバラバラになっている(複雑骨折)、手術で入院ですといきなり言われました。しかも、こちらは思ったより酷い結果に頭が真っ白だというのに、「やったのは昨日ですか、救急で来るべきでしたね」と、とどめのように注意されて悔しいやら情けないやらでした。

複雑骨折という名前から冒頭の前者の意味だと思っている人も多いが、骨がばらばらになっている骨折は粉砕骨折である。複雑骨折の複雑というのは、骨折だけでなくその周囲の組織も大きな損傷を受けていること(さらに言えばそれにより感染症も合併すること)を指している。なお、このような勘違いを生むこともあることから、読んで字のごとくで医学に精通していない人でもわかりやすい開放骨折と呼ぶことが多くなってきている。

複雑骨折の説明

手術の話

手術当日、血管が細いとかで点滴用の注射針が入るまでに数度失敗したので、痛かった上に、点滴をつないだ足が青アザだらけになりました。手術は部分麻酔で、半分うつ伏せのおかしな体勢でした。薄暗く有無を言わせない圧迫感のある一室は意外と狭く、背後はモニターがあるだけで、まるで人体実験でもされるような気分でした。

ひどく痛い麻酔を肩に2本射たれ、手を動かせるか聞かれてどうにかしようにも、右腕の感覚は全くありません。それから金具をガンガン叩く音がずっと聞こえて、目の前の血圧の数値や管を流れていく自分の血液を眺めるばかりの4時間です。

手術後の話

手術後は、寒いし熱いし、喉がカラカラで一睡もできません。そこへ夜中に担当医が来て、手を動かせるかと尋ねました。グーパーが簡単に出来たので、チョキは?と言われてすぐやって見せると、おおスゴいなと感心されたようです。ということは、チョキも出来ない腕になった可能性があったのか、と後になってぞっとしました。

個室でラッキーと思っていたけれども、右腕が治療中、左手に点滴、左足の甲にもう1つ点滴で注射針が刺してありました。そうして、トイレに段差がありました。入る時は上手くなだれ込んでみたけど、出るには点滴の足をどうしても曲げる必要があり、針が刺さるのをわかっていてこれをやるのがかなり気力がいりました。

倒れた場合に備えてスタッフを呼んでおき、必死で跳ねてみたら刺さるのが最小限で済みました。跳ねたとき、見ていたスタッフの方が声を上げました。こういうことは、当事者の方が案外平気でやれるのでしょう。もう、やりたくないですが。

2日たって夜中に急患が入ったとかで、多人数の部屋に移されました。そこは、おしゃべりな高齢者ばかりの部屋で寂しくはなかったけれども余り良い環境でなく、風邪をうつされたり、廊下側で足音がダイレクトに聞こえて眠れなかったりしました。

それに、右は利き手なのにうどんやプリンが食事に出てきて、しかも箸だけが添えてあるのです。抗議のために食べまいかと思いましたが、それも馬鹿馬鹿しくなって左手を駆使して完食したら回収に来スタッフにニッコリされ、ともかくも、退院する頃には両利きに近くなっていました。

退院後のリハビリと治療期間

その後は順調に回復して、抜糸と同時に退院しました。入院時に内出血で青く腫れ上がっていた右手は元通りになっていました。エレベーターで、点滴で奮闘してくれた看護師さんに再会した時には、こうやって治るのを見るのが嬉しいんですと言われて嬉しくなりました。

リハビリは毎日通いました。途中、痛くて固まりかけ、麻酔で力を抜いて無理矢理曲げることを提案されましたが、もうあの痛い麻酔は御免でした。しかし、あるときなにかが剥がれる感触があって、そこから自然に曲がり出しました。リハビリ担当者は、時間がたって癒着が取れたのかなと言っていましたが、本当に何が起きたかは分かりません。リハビリをしすぎて炎症も起きました。何度も痛くて不快な思いをしながらやっと治っていくのだとつくづく感じました。

ただし、曲がるようにはなりましたが、右手を酷使すると痛むので当分は重いものは持てないとわかり、本の仕事を辞めざるを得ませんでした。今の美術館の仕事は、その半年後、じつはまだ骨が完全にはくっついていないとも思わず、絵もいいな程度の気軽さで始めたのです。

レントゲン写真には、大きな釘が3本と、グリグリに曲がったワイヤーがくっきりと写ります。これは抜いても抜かなくても良いらしいので、手術が嫌な私はそのまま、筋金入りです。