23歳大学生です。

骨折した当時は、14歳中学生、2回目は17歳高校生でした。2回ほど骨折を経験していますが、2回とも足首を骨折しました。1回目は、体育館で部活動のハンドボールをしているときに、ジャンプシュート打ったあとの着用時に足をひねったまま地面についてしまったことが原因で右足首を骨折しました。その時は、着用した瞬間に今まで聞いてことのないような鈍い音で「ばきっ」となったので直ぐに骨折したのだと気づきました。2回目は体育館で授業のバスケットボールをしているときで、リバウンドを取りに行った着用の際に他の選手の足に乗っかってしまい左足首を骨折しました。足首をひねることは度々あったので、靭帯を伸ばした軽い捻挫だと思っていたので骨折だと気づくことはありませんでした。

大柄な体格であったこと、病院までの距離が遠かったことなどの理由で学校から病院までの移動には車椅子を使用しました。車椅子には足を置く「ステップ」があるのですが、地面との距離が非常に近いため慣れていなかった私は、ステップと地面の間に骨折した足首を挟んでしまい、さらに痛みが増すという経験があります。また、前述のとおり大柄な体格だったので、車椅子を押してくれていた保健の先生が相当苦労していたようで、学校から病院に到着したときには医師から「どっちが怪我人?」と冗談まじりに話していました。

病院に行くと最初にレントゲンの撮影を行うのですが、レントゲン技師の先生がお年をめしている方で患部への気遣いがあまりなく、扱いの荒い先生だったので振り返ってみると、レントゲンの撮影をする時が一番辛かったと思います。幸い複雑な骨折などではなく、単純な骨折だったこともありギブスと包帯で固定することによる自然治療がメインでした。2週間ごとにシップをもらうために通院し、1か月に1回はレントゲンの撮影を行う形で治療を進めていきました。治療が進むと自然と痛みが消えていったのでリハビリテーションに通うことはありませんでした、痛みが自然と消えていくことで「治った」と勝手に判断して、ギブスを外したり、松葉杖を使用しないことがあったのですが、完治していないのに勝手にそんなことして治らなくても知らないぞ、病院医師からこっぴどく叱られることがありました。

私はスポーツをすること自体は好きでしたしどちらかと言えば得意な部類にあったのですが、唯一陸上競技はとても苦手でした。中でも長距離は特に苦手でクラスや学年単位でも後ろ方でした。そんな私が学生時代に最も恐れていた行事が中学校の「部活動対抗駅伝」と高校の「全学年マラソン大会」だったのですが、たまたまどちらの行事も足首の骨折を理由に欠場することができました。当時の私にとっては、長距離を走ることが一番の苦痛だったので、この時ばかりは骨折をしていて良かったと思いました。また、骨折は比較的多くの人が経験している怪我なので、その痛みを共感してくる方が多かったのは精神面を楽にしてくれました。松葉杖をつく姿というのは目に見えて「怪我をしている」ということが伝わるので周りの友人だけでなく、普段話すことのない生徒からも心配してもらえます。まるで自分が人気者にでもなったのではないかという感覚に陥ったのはその時は最初で最後の経験でした。特に高校生の時は、当時好きだった女子に教室移動の際に荷物を持って貰ったり気を遣ってもらえたのはとても嬉しい経験でした。しかし、怪我も治ってしまえば普段通りの生活に戻ってしまい、その好きだった女子と話すこともあまりなく、まるで違う世界を行き来しているかのような不思議な体験でした。