私は今44歳、会社員(品質管理)ですが、私が中学2年生(昭和61年11月)13歳の時に右足の足首部分を骨折したのを今でも鮮明に覚えています。

その日は中学で所属していたサッカー部の試合で市内の別の中学校に来ていました。中学校に集合してから歩いて行ったのを覚えています。敵の中学校との試合で私はCF(センターフォワード)として攻撃のポジションで出場していました。いざ試合が始まった前半の20分過ぎだったでしょうか、同点の際に相手陣内に敵がボールをキープしている時に私は「チャンスだ」と思い、スライディングをしてボールを奪おうとして相手選手と接触しました。

すると目の前が真っ暗になりそんな中で「ボキ」っと大きな音が私の脳の中で聞こえたのです。

まだ頭の中は真っ暗のままで状況が把握できないまま、

「今の音はなんだろう」

と感じていましたが、こんな声が聞こえました。

「俺、何もしてないよ」

っと。そこからだんだん意識がハッキリして状況も把握しました。「ああ、スライディングをして足を怪我したんだ」と思いました。周りがざわざわとしてきて監督が近づいてきて、私の右足首をみてギョッとしています。

私もやっと立とうとしましたがいくらやっても立てません。監督が

「おい、無理するな、足を見てみろ」

というので見てみるとなんと右足の足首部分が右90度に曲がっていました。ここで現実を知り「骨折したんだ」と自覚しました。不思議なことにそれまで痛みを感じていなかったのがズキズキと痛み出しました。監督に起してもらいおぶって貰いベンチの椅子に座りました。私が自滅した格好ですからベンチにいる後輩たちも見ていまして非常にバツが悪かったのを覚えています。

監督が病院に連絡し監督の車で少し離れた病院に連れて行ってくれました。その病院は今でもお世話になっています。しかしそこでアクシデントが起こりました。なんと監督が侵入禁止の道路を間違えて入ってしまい、警察の切符を切られてしまったのです。その間私は待ちぼうけで足の痛みはだんだん酷くなってきました。やっと病院について病院のドアを開けてもらいスポーツ中の怪我という事で処理し、待合室で待ちましたがその日は日曜日で他の患者さんはおらず、入院患者さんだけです。その日はベットが開いていないという事でなんと院長先生の休憩の部屋に泊まらせてもらい次の日からベットにという手はずになりました。

運のいいことにその日は近くの大学病院から外科の先生が来ておりこの足の90度曲がった状態は処置しないとまずいという事で処置室に連れられました。そこで処置の始まりです。看護師さん達も3人もいて何事だと思いましたがすぐ思い知ることになります。先生が

「麻酔は出来ないからね」

と言ってなんとその曲がった足をグイッとまっすぐにしているではありませんか。私には何も考えずまっすぐに強引に直しているようにしか見えませんでしたが先生は

「大丈夫だよ」

と言ってくれたのできっと細かい技術があったのでしょう。しかしその処置は思いのほか激痛で耐えられず叫び声を出してしまいました。それが15分程度続きやっと終わったかと思ったら先生が

「うーん、入らないなー」

とおっしゃっていて何のことだろうと言っています。

今日はこれ以上の処置は体と骨に負担がかかるので処置は終了という事になりました。先生は

「もう一回やってみるからギプスはまだしないからね」

と言われました。訳もわからず部屋に連れて行かれその日は痛みとの戦いでした。母が先生から説明を受けたのですが「右足首周辺の亀裂骨折3か所及び成長点部分の脱臼」という事でした。

成長点に怪我が及んでいるのでもう背は伸びないかもしれないとも言われたそうです。その日の夜激痛によって涙が出てきて我慢が出来ずナースコールで看護師さんを呼びました。すると女の看護師さんが

「じゃー座薬を入れましょう」

とお尻から痛み止めを入れてもらいました。まだ中学生ですが綺麗な看護師さんでとても恥ずかしかったのを思えていますが天使の様に見えました。痛みも少し和らぎましたがその日は眠れませんでした。怪我で一回目の処置をした三日目に二回目の処置をしました。これは右足の成長点部分の脱臼がきちっとはまらないことの処置でその成長点、足首の一点をぐりぐりと押し込んでいました。これには耐えられず叫び声とともに泣いてしまったのを覚えています。

処置室の周りには患者さんがいることなどお構いなく叫ぶほど痛かったです。その後消毒、ギブスをしようやく入院(個室)となりました。この日の夜も痛みで綺麗な看護師さんに座薬を入れてもらいました。寝れなかったのはこの日までだったと記憶しています。あとは2週間の入院でひたすら安静にという事でした。炎症や骨の位置を固める為だったと聞いています。ですのでその間は当然リハビリも無しです。

退院後1週間たってからリハビリが始まりました。右足首が動かないのです。これを適度に徐々にリハビリをしていきましたが結局足首を伸ばして180度に伸びるまでにはいかず正座も出来ませんでしたので、治療としてはリハビリは終わりでも正座が出来るようマッサージは続けてと言われて闘病生活は終わりました。

筋肉に関しては1か月ほど全く使わなかったので骨と皮だったのを筋肉を指定の方法でリハビリし元に戻しましたが、サッカーで培った筋肉質の足にはしばらく(半年程度)は戻りませんでした。今回の入院、リハビリでラッキーだったことは綺麗な看護師さんに臀部を見られ座薬を入れられたことです。まだ若かりし頃の話ですが初めて親以外の女性に怪我とはいえ触られたことは思春期の私の良い思い出です。リハビリは本当にきついものでした。特に足首を伸ばせるようになるために、親に足首を伸ばしてもらう痛みは地獄でした。心配された成長点の影響もあまり感じられず背も172cmまで行ったので良かったです。約30年たってもこれだけ鮮明に覚えているという事はいかに大変な怪我だったんだと改めて思います。