中学1年生(13歳)のときに、幼馴染の女の子と一緒にソフトボール部に入部しました。小さいころから身体を動かすことが大好きだったのですが、走ることだけは大の苦手でした。当時のわたしはおっぱいが大きくなりはじめていて、走るたびにというより、少し動くだけでおっぱいに激痛が走っていました。ソフトボールをプレーしている間は、いろいろなことを考えながら動いているからか、痛みを感じる暇もないのですが、ただ走るだけという行為になると途端に痛みを感じてしまい、この憎たらしいおっぱいをそぎ落としてしまいたいと本気で考えていました。幼馴染の女の子は、小柄で華奢なタイプだったからか、おっぱいはそれほど膨らんでいないようで、相談することもできずに一人で悩んでいました。

プールの授業では、スクール水着になるためおっぱいの大きさが一目瞭然で分かります。わたしはクラスの女の子の胸に自然と目がいくようになりました。今までは特に気にしたことがありませんでしたが、わたしは同級生の中でずば抜けて大きいということが分かりました。あるとき、乳首が水着から少し出てしまっていることに気づかずに、水中からプールサイドへと上がってしまったことがありました。わたしは身長のわりにおっぱいが大きかったためか、身長のサイズにあわせるとおっぱいのあたりが窮屈で、逆にするとおっぱい以外の部分がぴったりとしなくなるため、おっぱいのサイズが合っていない水着を着ていました。そのためおっぱいが水着におさまっておらず、プールサイドへと上がる際に逆流して入ってきた水の勢いで乳首が少し出てしまったのだと思います。自分で気づいたときに、まわりを見渡しましたが誰とも目が合わなかったので周りにバレていないと思いこんでいましたが、男子も女子もみんな気づいていました。その日からわたしは陰で、男の子には「えろい女」だと決めつけられてあらぬ妄想をされ、女の子には「巨乳を自慢している」と陰口を言われました。

大好きなスポーツを全力で楽しむこともできないうえに、同級生から冷やかされる自分の大きなおっぱいが本当にコンプレックスでした。男の子にはわざとおっぱいを肘でつつかれたこともありました。インターネットで巨乳になる方法を探し、それと全く逆の行動をとるようにしました。食べると巨乳になるといわれていたキャベツやからあげは控えるようにし、夜寝るときはうつ伏せで寝たり、ブラジャーをきつく締めたり、いろいろなことを試しました。なるべくおっぱいの大きさが分からないような、だぼっとしたワンピースを私服で選ぶようにしました。ボディラインが見えないように、ベルトも使いませんでした。それでも同級生や先輩たちからも巨乳であるがゆえの指摘は無くなりませんでした。

高校生になってからは電車通学になり、相変わらずソフトボール部に入部していたので、練習を終え夜遅くに電車に乗って帰宅するようになると、サラリーマンのおじさんに満員電車の中でわざと肘をおっぱいに当てられたこともありました。痴漢されたことがバレれば、また同級生に冷やかされると考え、何も言えませんでした。結局わたしの様々な努力はたいした効果は得られないまま、高校を卒業するまでずっと巨乳であることに悩んでいました。

大学生になってスポーツを辞めてから、わたしはモテるようになりました。というよりも、コンプレックスだった大きなおっぱいが「モテる対象」であることに気が付きました。男性が多いサークルに所属していたわたしは、男性の先輩からもちやほやされるようになりました。中学生・高校生のときのように好奇だけで巨乳を指摘するのではなく、好意を伝えてもらえる機会が増えました。ずっと悩んできて、要らないと捨ててしまいたいとさえ思っていたこの大きなおっぱいは、わたしの女性としての魅力のひとつになるのかもしれないと気が付きました。合コンに行っても、必ずひとりはわたしのことを気に入ってくれます。はじめて付き合った彼氏から、「肌が透き通るように白くて、そのうえ大きくて形のいい柔らかいおっぱい、乳首の色もきれいで…」とすごく褒めてもらえました。結局別の理由で別れてしまいましたが、そういったこともあり、ようやく自分のおっぱいに自信を持てるようになりました。